“いつでも学びや挑戦を求めているんだ。
サーフィンは僕たち家族のライフスタイルだからね”
アメリカ、カリフォルニア州に世界的に有名なサーファー三兄弟がいる。それがガダスカス兄弟だ。ハイドロフラスクアンバサダーでもある三男のターナー・ガダスカスに話を聞いた。
2021年東京オリンピック-新しく追加された競技に日本中が湧いたことも記憶に新しい。その一つがサーフィンだ。スポーツとして注目が集まるようになったサーフィンだがライフスタイルに特化した側面も持ち合わせている。
サーフィンには他の競技にはないユニークな側面がある。
海外では福利厚生の中にサーフィンが含まれている企業もあり、メンタルセラピーとしてサーフィンを続ける人もいるくらいだ。
その“サーフィン=ライフスタイル”をまさに体現しているのがこのガダスカス兄弟なのである。
「三兄弟の末っ子で今は34歳になるよ。末っ子ということもあったし、週末は家族で海で遊ぶというのが当たり前になっていたから、サーフィンは幼いころから始めていたよ。」
「実は最初からコンペティターとして練習をしていたわけではなかったんだ。家族のライフスタイルの一つだったから、ただその時間をみんなで楽しんでいる感覚だったね。でもいつだったかな、16歳か18歳くらいの時に兄弟全員が競技者としてサーフィンを楽しむようになり、そこから本格的に競技者としてのキャリアが始まった。兄弟で協力し合いながら23歳の時に世界ツアーランカーになったんだ。そこから7年間世界を転戦したね」
筆者は驚いた。競技者としてのキャリアを進める場合、若い年齢からその活動を始めるのが通常である。特にサーフィンという競技は若い頃から始めるのがキーになってくる。16歳というのはとても遅いのだ。
30歳で競技者としての人生を終えた理由はなんだったの?
「いい質問だね。実は競技としてのサーフィンが嫌になってやめたわけではないんだよ。やりきった感かがあったといえばそれまでなんだけど、なんて言うか、学びがなくなってきたと感じたのが大きいかな。同時に別のことに挑戦してみたいって思ったんだ。もっとサーフィンの本質の部分を突き詰めたくなったんだ。」
サーフィンに対してのマインドセットが変わったってことかな?
「まさにそうだね。若い頃みたいに勝ちだけにこだわるというよりも、サーフィンの本質的な部分、色んな種類のサーフボードに乗るとか良い波を求めて旅をする、そういう方向に気持ちが向いて行ったんだ。」
「同じように競技者としての道を進んできた友達の中には、競技を引退したらサーフィンもやめてしまう人たちも結構いたね。それってやっぱり競技としてサーフィンを始めてトレーニングや練習に励んできたからだと思うんだ。僕らはサーフィンが好きで家族や友達と楽しむものとして育ってきたから、競技というのはサーフィン人生における中で一つのチャプターでしかないんだよね。だから今でも毎日サーフィンしているし、様々な楽しさを追求できていて幸せだよ。」
アスリートがある年齢に達すると頭をよぎってくるのがセカンドキャリアだ。彼の中で競技としてサーフィンがあるわけではなく、人生そのものがサーフィンなんだとインタビューの最中に感じた。まさにサーフィンに生きる、そんな人生を送っているようだ。
“サーフィンの楽しさとそれがもたらす幸せを伝えたいと思って、兄弟で財団を始めたんだ”
兄弟で’’Positive Vibes Warriors’’というブランドを始めた経緯を教えてくれる?
「このブランド自体は1年くらい前に始めたばかりなんだけど、その前身となる活動は10年くらい前から始めているんだ。あるサーフトリップでジャマイカのキングストンを訪れた時に出会ったサーファー達が、とても上手でインスパイアされた。でも彼らには資金的にも新しいサーフギアを手に入れることができない状況ということを知って。そこでアメリカに帰ってきてから彼らのためにできることは何かを考えた結果、まず始めたのが必要でなくなったサーフボードを寄付してもらうことだったんだ。全部で300本くらい集まったよ。そのサーフボードをジャマイカに持って行った時にサーフコミュニティーを助けることへの意義を感じたんだ。」
「僕らが住んでいる地域はコミュニティーもしっかりしているし、誰でもすぐにギアを手に入れることが出来る。リソースがしっかりしているんだよね。一方ジャマイカのようなところはそういったリソースがなく、才能がある子や、サーフィンにパッションがある子達が簡単にサーフィンを始められない状況なんだ。」
「そんな活動を続けて始まったのが“Positive Vibes Warriors”というファミリーブランドなんだ。サーフィンを始めるのにはソフトボード(樹脂で巻かれているサーフボードではなく、柔らかい素材のサーフボード。)が適していると思ってね。もちろん素材にもこだわったよ。実際に僕らが取り扱ってるソフトボードはリサイクル可能な素材で丈夫なんだ。」
サーフィンを通してこの地球を楽しい場所にするっていうことだね。
「まさにそうだよ。僕らは決して次世代の世界チャンピオンを育てたいわけではなく、サーフィンの楽しさやそれがもたらす幸せを伝えたいんだ。サーフィンをしていると面白いくらい世界中に友達ができるからね。南アフリカのある団体と一緒に、トラウマを持っている子供達をサーフィンに連れていくというプロジェクトをした事があるんだ。その時まで気づかなかったけどサーフィンがセラピーとしての役割を果たすんだよ。びっくりしたけど素晴らしいことだよね。」
今後の活動はどうしていくの?
「シンプルだけど出来る限りサーフィンをし続ける事だね!笑あとはサーフカルチャーに関わり続けていくことも一つだね。自分たちの経験や友人の経験をシェアできる環境ということでポッドキャストも今年はやろうと思っているよ。」
“サーフィンを楽しむことが上手なサーファーになるための第一歩”日本の次世代に向けてこんな言葉を残してくれたターナー。競技として、そしてカルチャーとしての両側面のバランスを保つことが、彼のような“サーフィンに生きる”そんな人生を送れる秘訣なのかもしれない。インタビュー中、常にとびっきりの笑顔で対応してくれた彼のポジティブな空気感は、まさにサーフィンがもたらした力であり、様々な人々を巻き込める彼の人柄だと感じた。
“機能性だけではなくそのブランドのコンセプトが素晴らしいよね。アンバサダーとしてではなく、ずっとファンなんだ”
「ハイドロフラスクとは本当に長い付き合いだよ。初めて出会ったのは6~7年前だったかな。ちょうどその時にサーフ部門を始めた時だったらしくて、知人に紹介してもらって。最初は衝撃だったよ。その機能性はもちろん、ブランドコンセプト、実際に国立公園の保護活動をしてることも素晴らしいと思う。何より働いている人たちが若い世代が多かったのも感銘を受けたね。みんなエネルギッシュなんだ。それぞれがこのブランドに携わっていることに誇りを持っている印象を受けたよ。そんなチームの一員として活動ができている事が誇らしいね。」
「僕らみたいな生活、特にサーファーとして世界各地飛び回ると気づくと思うんだけど、どうしてもペットボトルの水を買う機会が増えてしまうんだ。当時はそんなにフラスクというものが多くなかったから衝撃を受けたのを覚えているよ。これでもう買わずに自分でリフィルもできるよってね。見た瞬間からこのブランドのファンになったよ。」
今までにハイドロフラスクと取り組んだプロジェクトある?
「最近だと数ヶ月前にVansとハイドロフラスクがコラボレーションして行ったプロジェクトに参加したよ。その他にもキッズのためのサーフィンイベントの時にウォーターフィルステーションをビーチに持ってきてもらったり、とにかく彼らは何に対しても積極的に助けてくれるよ。それってやっぱり競技としてサーフィンを始めてトレーニングや練習に励んできたからだと思うんだ。特にキッズ達はハイドロフラスクが大好きだから喜んでいたね。」
「現在進行しているプロジェクトはないんだけど、これからもハイドロフラスクの一員として色々なプロジェクトを行っていけたらと思っているよ。」
好きなハイドロの商品教えてくれない?
「あるよ、ボトルではなくて12ozの蓋つきタンブラーだね。もちろん全ての商品が好きなんだけど、このカップは必ず車の中に置いてあるよ。例えば一日どこかへ旅行した時にこれ1つあれば、水を飲むのにも使えるしコーヒーを淹れる時でも使えるし万能だよね。
1日の終わりにビールを入れたりもするね。フタ付きでこぼれる心配もないから本当に重宝しているよ。」
1つで様々なシチュエーションに使えるから便利だよね。保温性も素晴らしいし。
「その通りだよ。中でも一番驚いたのが保温性だよ。ある日の朝にコーヒーをこのカップに入れたまま、サーフィンしに行ったんだ。確か4時間以上は海に入っていたのかな。流石にもう緩くなってるだろうと思って勢いよく飲んだらまだまだ熱々でさ。本当に機能性には毎回驚かされるよ。」
彼の言葉の節々からハイドロフラスクとのパートナーシップに誇りを持っていると感じたインタビューだった。そしてまたハイドロフラスクというブランドも彼ら3兄弟の活動を応援し協力し合っている素晴らしい関係性だ。
今後両者が作り出す新しい波を見続けたい、そう強く思ったインタビューとなった。
Thank you, Tanner!
Photo: KENYU Edit&Text: Dai Wako