INTERVIEW MIHO NAKAMURA|マガジン|アルコ株式会社

挫折や弱みを伸びしろと捉える、
トライアスリートたちのマインドから学ぶこと。

色白の肌に金髪、大きな声と弾けるような笑顔。その場の空気をガラッと変えてしまう、底抜けに明るいキャラクターとオーラをまとったこの女性の名は中村美穂さん。職業はトライアスロンコーチだ。

「人と関わることが大好き。今の仕事は天職だと思ってます」。

そんな彼女の半生に迫る。

全身をまんべんなく使うトレーニングから得た気付き

早朝6時に起床し、1時間くらいジョギングをすることから、彼女の1日はスタートする。

「頭の中を整理する時間ですね。あと食べることが好きなので『今日は何を食べようかな』とか(笑)」。

走った後に朝食を済ませ、仕事のメールをチェックした後は、スポーツジムで汗を流すのが日課だ。トライアスロンのコーチとして、トレーニングや体のメンテナンスは、やはり欠かせない。

「トライアスロンは前に進み続けるスポーツ。横の動作がないので偏った体の使い方になりがちなんです。だからジムでのトレーニングでは全身をまんべんなく使うことを意識しています」。

『ここの筋肉はこういう動作で使うんだ』とか『この関節にはこんなに可動域があったんだ』など、体のどこか一部に負荷がかかり過ぎることなく、普段使われないような筋肉や関節の動きを “感じながら”トレーニングすることに意味があるのだという。

「休む、寝る、食べるだけがレスト(休息)ではないと思うんです。全身をくまなく使って体を巡らせることで、新しいものが入ってきて古いものは出ていく。私にとってはそれもメンテナンスの一環だし、そういう感覚を大事にしたいんです」。

真四角の世界から大自然へ飛び出して見えたもの

幼い頃から水泳を始め、高校時代にはインターハイで優勝するなど、全国でも指折りの競泳選手だった中村さん。大学4年次まで、競技者としての人生をおよそ20年近く続けてきた。

その後は一般企業に就職し、総合職として働き始めた。それを機に競技への気持ちはすっかり切り替えていたつもりだったのだが……。

「いわゆる心の病気にかかって、体調を崩してしまったんです。それまでの、頑張れば結果が出る、というスポーツの世界とは違い、白でも黒でもないグレーなものを選択しなければいけなかったり、自分の意志とはかけ離れたところで結果を求められたりする環境に、順応する力が不足していたんですね。心がアスリートのままだったというか」。

競技者として取り組んできたことが、一般社会では全く通用しない。そんなギャップに苦しむなか摂食障害を患い、身長170cmの彼女の体重は、30kgまで落ち込んでしまったという。

「自分自身に対する無力感から、『誰からも必要とされていないんじゃないか』という孤独と恐怖を感じました」。

もう一度、人との関わりを持ちたい。誰かに「ありがとう」と言ってもらえるような存在でありたい。そのためにまず必要なものは、健康な心と体だ。そう感じた彼女は、就職して以来全くやってこなかったスポーツを再び始めようと決意。少しずつ体重を元に戻しながら、水泳にも取り組めるようになった矢先、トライアスロンスクールのスイムコーチの依頼がやってきた。

「私のトライアスロンコーチの師匠にあたる方のアシスタントとして指導に携わるようになったんですが、人に教えるのであれば自分もやらなきゃ、ということで私自身もトライアスロンデビューすることになったんです」。

ランとバイクは未経験だったにも関わらず、デビュー戦では見事優勝。しかし、彼女が喜びを感じた部分は他にあった。

「それまではプールという“真四角の世界”で生きてきたわけですが、トライアスロンは自然の中で、いわば地球を相手に戦うスポーツ。『何て格好良いんだろう』って思いましたね」。

すべてのスポーツには、試合やレースという“本番”があり、それにともなって勝敗が生まれる。しかしトライアスロンの魅力は、単純な勝ち負けにとどまらない。

「レースはご褒美で、そこに向かっていく過程こそが本番」だと中村さんは言う。

「トライアスロンは長く続けないと突き詰められないスポーツ。三種目あるぶん、自分の得意・不得意が良くも悪くも見えてきやすい。その一方で、楽しみ方っていうのもそれぞれに奥が深いものだと思うんです」。

トライアスロンを通して、幸せの本質に気付けた

コーチという立場から見て、トライアスロンをやる人のパーソナリティーにはある程度傾向があるという。

「みなさんすごく前向きです。普通は自分の弱点を隠したり、良く見せようとしますよね。そこから目を背けて生きていくことだってできます。でも、トライアスロンをやる人の多くは、自分のウィークポイントを“伸びしろ”、つまり成長するチャンスと捉えている人が多いんです。私の生徒さんの中には、会社を経営されているような方もいらっしゃいますけど、そういう人たちって、単純な会話の中にもたくさんの選択肢を持っているなあと感じる。トライアスロンのようなエンデュランス系のスポーツって、途中調子が悪くなったときに工夫したり、修正したりする能力が求められるんですけど、そういうポジティブなマインドそのものが競技に生かされているんですよね」。

苦しいトレーニングに取り組む時間は、普通の人からみれば無駄だと感じるもの。でも、その一見無駄だと思う時間を有益化させる方法を具体的にイメージできる人は強い。トライアスロンに取り組むことで得るもの。それを将来に役立てる自分を、しっかり捉えているかどうか。そこがポイントなのだ。

「新型コロナの影響で、予定していたレースが開催されないことはもちろん、開催されたとしても仲間とハイタッチしたり、ハグをして互いを賞賛するようなことができなくなりました。それまで当たり前だったことが失われた喪失感を感じた方はたくさんいらっしゃいますし、私自身もコーチとして何もできないことが苦しいと感じる時期もありました。でも、それまで頑張ってきたことは、体にも心にも絶対に残っています。そういう“努力の貯金”を否定してはダメだと思うんです。パフォーマンスだけじゃない価値をもたらしてくれるのがトライアスロンだから、未来を見据えてその過程を楽しむ時間にしましょう、ということを生徒さんたちにはお伝えしています。私もコーチとして、これから先そういう人たちをどう導いていくのか、ということは社会的にも求められていることだと思いますし、課題だと感じています」。

競技者から指導者の道に進み、今は「誰かのために」という気持ちがモチベーションになっているという中村さん。

「『コンマ1秒を削り出す』みたいな生活から離れたことが私にとってはプラスになっていると今は思います。選手としてやっていると、どうしても自分軸になってしまうから。トライアスロンに出会って気づいたのは『私は自分が主役になるよりも誰かのサポートをするのが好き』ということ。人が好きで、人と関わることが好きで、そこに役割があって、それによって誰かに『ありがとう、結果が出たよ』と言ってもらえること。私にとっての幸せや豊かさの本質はそこにあるのだと思います」。

全身を偏ることなく使って体を巡らせることで新しいものが入ってきて、古いものは出ていく。

Photo: Akane Watanabe Edit&Text: Soichi Toyama