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制限を外し、自分を表現することで
ライフスタイルは豊かになる。

プロサーファー、和光大。彼は他にも、サーフコーチ、トラベラー、フィルマーと、多くの顔を持っている。

「普段のルーティンみたいなものはないですね。何かにとらわれるのが嫌なのかな(笑)。大事にしているのはその日、自分が何をしたいのか。自分がやりたいと思ったこと、全てが大切なんです」。

そんな軽やかなマインドは、一体どこから生まれたのか?

サーフィンとの出合いと挫折

和光大がサーフィンと出合ったのは小学4年生の夏。父から半ば強制的にやらされた(本人談)ことがきっかけだったという。当時は横浜に住んでいて、週末になると家族で早起きして、千葉や茨城の海へ出掛けていた。

小学5年生の時に東日本選手権のボーイズクラスに出場。そこで初めて同世代のサーファーたちの実力を目の当たりにする。

「まあボコボコにやられまして(笑)。でも、それをきっかけに『うまくなりたい』『勝ちたい』と思うようになって、本格的にサーフィンにのめり込むようになりましたね」。

6年生になると鎌倉に引っ越し、海がすぐそばにある(すなわち毎日練習できる)環境に身を置いたこともあって、メキメキと実力つけた和光少年は、世代トップクラスのサーファーへと成長。中学卒業と同時に、サーフィン大国・オーストラリアへと留学する。

「毎日、ただ純粋にうまくなることに集中してサーフィンに没頭していた、とても幸せな時間でした。オーストラリアは僕にとって第2の故郷とも言える場所ですね」。

その後ハタチの時に日本に帰国し、プロとして活動をスタートしたものの、その気負いからか、順風満帆とはいかなかった。

「サーフィンに対して、シリアスに向き合いすぎたというか、それこそ『勝たないと生きていけない』というくらいに自分を追い詰めてしまっていましたね。他にもいろいろなことが重なって、プロサーファーとしてうまくいかなくなってしまった。『俺、本当はサーフィンやりたくないのかな。一体何がしたいんだろう』って、かなり落ち込んでいた時期でしたね」。

競技者として世界に行くという幼い頃からの目標を見失いそうになる中、彼の頭をよぎったのが、オーストラリア留学の日々だった。

「24〜5歳くらいの頃ですかね。毎日メンタルが沈んでいるときに、留学中にお世話になっていた日本食レストランのオーナーさんに連絡したんです。『オーストラリアに戻りたいので働かせてください』って伝えたら、『だったらウチに来い』と。金銭的にも苦しいことをわかってくれたのか、宿代もいらないからって居候させてくれました。その方は僕のことを弟のように可愛がってくれる人で、厳しいことも言ってくれるし、ダメな時はちゃんと叱ってくれるメンターのような存在です」。

すがるような想いで向かった第2の故郷。再び始まったオーストラリアでの日々は、昼間はサーフィン、夜は飲食店でアルバイトと、シンプルなものだったが、それまでにない多幸感に溢れていたという。

そうしてサーフィンへの純粋な想いを取り戻していく一方で、サーフコーチとしての活動も始まった。

「オーストラリアはサーフィンのコーチング文化が根付いている国なんです。コーチという立場を経験し、教える楽しさを感じながらも初心に戻ることができました。日本からも、僕のところで習いたいと言ってきてくれる人が少しずつ増えていって、そのフィーをもらって生活できるようになっていったんです」。

世界を旅して気づいたこと

そんな生活が1年ほど続いたが、彼自身は、このまま日本に戻って順調に生活していけるほどメンタルが整っていないと感じていた。「この先どうしたらいいだろう」と考えていた矢先、たまたま目に飛び込んできたのが、海外のトラベラーが作った美しい旅の動画だった。

「たまたまユーチューブを見ていて『旅っていいなあ』って。と同時に『なんで俺にはできないんだろう』とも思いました。でも『同じ人間だし、俺にもできる。やりたいなら、やればいいじゃないか』って。で、箔を付ける意味でも世界一周の旅に出ようと、1年間お金を貯めました」。

しかし、ただ世界一周するだけでは遊びの延長で終わってしまう。そこで、それまで趣味で撮っていた写真や映像を使って、自分も何か表現をしようと考えたのだ。

“なぜ自分とは違う、別の誰かになろうとしているのか。なぜ自分の好きなことを夢中になって追いかけないのか”

大好きなサーフィンをしながら世界を旅する。そこで出合った人々や雄大な自然。そこで自分は何を感じたか、観た人に何を感じて欲しいのか、自分を媒介して表現し、発信する。

例えば、彼が世界一周をして強く意識するようになったことのひとつに、環境問題がある。

「『ゴミを拾おう』とか『プラスチックを減らそう』とかそういうことはあまり言いたくないし、それに拒否反応を示す人も少なくないですよね。そもそも、プラスチックが全て悪だと僕は思わないですし、“否定”はしちゃいけない。それなら、世界にはこんなに美しい海や、楽しく遊べる大自然があるんだよって、映像を通して感じてもらいたいし、『じゃあ少しでも大事にしなくちゃいけないよな』って、観た人の心に語りかけるようなもの作りたい気持ちはあります。『ダメ!』って言われるよりも、そうしたいと思うきっかけがあれば、そうなっていくと思うので」。

彼にとって映像を作ることは、サーフィンと同様に自分を表現する手段の一つなのだという。

「当初は分けて考えていたけど、今は同じだと思います。というか、全部自分。何かを始めたから、何かをやめなきゃいけないって、おかしいじゃないですか?それこそ昔は『プロサーファーだから』っていう制限をかけて自分自身を苦しめていたこともあったけど、それを外したことで、いろいろなことがうまくまわるようになったと実感しています。競技にも純粋に向き合えるようになりました」。

やりたいと思ったことはすぐにやれるし、できる。

彼のライフスタイルそのものが、それを表現している。

自分がやりたいと思ったこと、全てが大切。

旅が日常のプロサーファー・和光大。
使えるバックパックの条件は「丈夫で目立つこと」。

タフな現場には丈夫なバックパックが不可欠

「僕がバックパックに求めることは2つ。まず丈夫さ。それから目立つことです」と、和光大は語る。

長距離移動が日常茶飯事である彼にとって、少々扱いが荒くてもへっちゃらなタフさは、相棒とするバッグの第一条件となる。

「撮影で雪山に行ったり、ちょっと進むのをためらうような場所に行くこともあるので丈夫さはすごく大切です」。
そんな彼が、旅や登山、仕事で遠方へ行く際に愛用しているのが「ALLPA 35L TRAVEL PACK」。

ボディ表面にTPUコーティングされた生地を採用した防水性の高い一品で、ラウンドジッパーでぐるりと開閉でき、左右それぞれがメッシュコンパートメントに分かれるという使い勝手の良さも魅力。レインカバーが付属していて、急な気候の変化にも対応するスグレモノだ。

「撮影の仕事ではどうしても荷物が多くなるので、とにかくモノがたくさん入るのが良い。中身も整理しやすいし、PCのスリーブポケットも付いているので仕事用としても不自由しません」。

しかも機内持ち込み対応サイズ。旅にはうってつけだ。

「ボディ表側の四隅にあるフックが意外と便利で、ここにカラビナを引っ掛けてヒモを通し、そこにシュラフを挟んで使ったりもします。応用が効くんです」。

仕事道具のカメラのほか、着替えや日用品、サブバッグなど、幅広く収納。移動時に読む本も必携品。

カラフルなデザイン、ちょうどいいギミック

和光大がバックパックに求めることの2つめは、ズバリ目立つこと。

「アウトドアでは目立つもの身につけることって大切ですよね。それに僕の場合、あまり人と同じものは好まない性格なので(笑)。そういう意味でもデザインがカラフルなコトパクシはピッタリかもしれません」。

コトパクシは(Re)Purpose™素材と呼ばれる、他社がさまざまな製品を大量生産する過程で残った生地や素材などの残材を積極的に製品に取り入れており、代表作「Del Día Collection」の全てのラインナップには、(Re)Purpose™素材を採用している。そのシーズンに仕入れた残材に応じてカラーやデザインが決まるので、基本的に同じカラーパターンのものは存在しない。

「『BATAC 24L BACKPACK – DEL DÍA』は、主に普段使い用です。カフェに行ったり、海に行く時にタオルや日焼け止め、カメラなんかを入れてくのにちょうど良いサイズ感と軽さが良いですね。それから両サイドのメッシュポケットも、マイボトル派にとっては欠かせません」。

こちらもPC用のスリーブポケット内臓で、仕事用としても申し分なく、汎用性の高さは魅力的だ。「会う人みんなに『それどこの、かわいい!』って言われます」と、目立ち度は言うことナシ。

PCやカメラ、データを入れたハードディスクなど、仕事道具を持ち歩くのにちょうど良い

「僕は世界を旅したことをきっかけに、環境問題の大切さに目を向けられるようになりましたが、コトパクシのように、ライフスタイルに寄り添いながらも、環境に配慮したモノづくりをしているブランドのもの日々愛用することで、その意識を持ち続けられている部分もあると思います」。

Photo: Akane Watanabe Edit&Text: Soichi Toyama