INTERVIEW SARA TAKANASHI|マガジン|アルコ株式会社

引退も視野に入れたオフシーズンを経てリスタート。
オリンピックでの悔しさは、オリンピックでしか果たせない。

引退も視野に入れたオフシーズンを経てリスタート。オリンピックでの悔しさは、オリンピックでしか果たせない。“世界に誇る日本のスター”として海外でも多くのスキーファンに愛される髙梨沙羅さん。本格的な冬将軍はまだ到来していないもののスキージャンプのシーズンはすでに始まり、髙梨さんも再始動。4年後のオリンピックを目指して歩み出した現在の心境に触れた。

多くの温かな声に触れたオフを過ごし、4回目の舞台を目指すことを決心

10月に入ると気温はグッと下がり、北国からは初冠雪の便りが届いた。山の頂にはうっすらと薄化粧。都会に暮らす人たちにとっても冬の足音を感じる日が増え、装いに変化が見られようになっている。それでも本格的な冬の到来はもうしばらく先のこと。しかしスキージャンプ競技はサマーシーズンもあり、もう随分前に、シーズンは始まっていた。

髙梨さんの2022/2023シーズンの初戦は真夏の8月。山形・蔵王での「サマースキージャンプ2022山形蔵王大会」だった。それから新潟、長野、北海道の試合に出て、海外遠征にも行っている。

「でも今年はいつもとは違うオフを過ごしていて、始動はゆっくりだったんです。実は、これからも競技を続けようか続けまいか逡巡していて……。北京オリンピックが終わってオフに入って以降、いろんな人と話をしてきました。応援してくれる人がたくさんいて、温かい声をいただけて、改めてジャンプを続けていく決心ができたんです」。

今年の2月に開催された北京オリンピック。誰よりも髙梨さん自身が前回大会で得た銅メダル以上を目指していた。しかし結果は悲劇と報じられるほどのものに。個人は4位でメダルを逃し、新種目の混合団体では、1本目で100メートルを超える大ジャンプを見せながら着用スーツの規定違反で失格。日本チームの最終結果は4位となって、自分のせいだと泣き崩れた。

実のところ、今回の取材は北京オリンピック後に初めて設けられた機会だった。そのため髙梨さんの声を聞こうと取材現場に入ったメディアは10社以上。しかも直前にあったドイツでの国際大会で北京と同様の失格判定を受けていた。もしや、とてもナーバスになっているのでは。そう懸念していた。

しかし、それは杞憂だった。

あらわれた髙梨さんはふんわりと柔らかい雰囲気をまとい、数日前に肉離れをして足を引き摺る我々取材クルーのカメラマンを気にかけ、ハイドロフラスクの新しい商品を前にすると、華が咲いていくように顔をほころばせた。

どうしてそのように物腰柔らかい佇まいなのか。そう聞くと、「ジャンプは自分と向き合うスポーツだから、でしょうか」と答えた。まだ26歳と若い。同世代で海外移籍を決めたプロサッカー選手を取材したときには、言葉の端々に上昇志向があらわれ、ギラギラとした野心が全身からこぼれ出していたものだが、そのようなムードが髙梨さんからまったく感じてこないのはどうしてか。そう感じての問いだった。

そして答えから感じたのは、野心がないわけではない、ということだ。彼女の煌めく炎は不動の心とある。多くのメディアから、あの日から今日までについて聞かれることを承知で、取材のテーブルに座った髙梨さんは、侍のように、心静かに、ただ唯一の獲物に狙いを定めていた。

スキージャンプはマイナー競技。もっと多くの人に興味を持ってもらうためにも、後輩たちに夢を抱いてもらうためにも、いろいろな形で発信を続けていきたいです。

集大成の場は4年に一度の大舞台。そう言った彼女は、来るべき日に向けて、4年をかけて自分のジャンプを完成させる。その道のりは長く険しい。だから「オンとオフをしっかりとわけた方が私にはしっくりきます」と競技から離れた時間を大切にする。ファッションやメイク、カメラに興味を抱くのは、自身を保つためでもあるのだ。

「それにスキージャンプの大先輩で元コーチの山田いずみさんが、とてもおしゃれな方だったんです。競技と私生活の境がすごくはっきりしていて。ずっと小さな頃からいずみさんのような選手になりたいと憧れて飛んでいたので、その影響は大きくあるのだと思います」。

なるほど、ファッションに興味を抱く原風景は大先輩にあった。そして日本を代表するファッションスタイリストの百々千晴さんも、彼女のファッション好きな一面に触れて嬉しく感じたという。

「共通の知人を介して髙梨さんとは知り合いました。プライベートで出会った彼女は、ごく一般的な可愛い女の子、という印象。デニムについて話したときには、洋服が本当に好きなんだなと感じました。私は下半身がしっかりしているのでタイトシルエットは似合わないというんです。自分に合うデザインを理解しているのは、やはり洋服が好きだから。そのような人にスタイリングをすると、服に着られるのではなく、服を着こなしてくれるので楽しい仕事になりますし、写真の仕上がりも、モデルと洋服それぞれの個性が表現されたものになるんです」。

きっと髙梨さんとの仕事は楽しいものになるはず。そういった百々さんの声を届けると、髙梨さんは「嬉しい」と微笑んだ。

「ファッションはすごく好きです。でもスキージャンプは時速90kmくらいのスピードで滑降して、空中で時速100kmに達し、着地をきっちりと美しく決める競技。下半身はしっかり鍛える必要があるんです。そのため洋服は太ももを強調しないようなデザインを選ぶことが多くて」。

百々さんはまた、髙梨さんはスキー界を超えて活躍できる存在ではないか、と言った。おしゃれで、可愛く、スキージャンプとひたむきに向き合う彼女の姿は、世の多くの女性に勇気を与えるに違いない、と。

「やっぱり、スキージャンプはマイナー競技。競技そのものへの関心を多くの人に持っていただくのは簡単ではないけれど、競技者という“人”に興味を持ってもらうことが間口になる可能性もあるのだろうと思っています。私もSNSで心掛けているのは、なるべく普段の自分を出すようにすること。競技の模様はテレビなどで報じられますから、インスタグラムのストーリーではその裏側を投稿することで、もっと興味を持つ人が増えてくれればいいなと思っています。実際に私も“あのような選手になりたい”と先輩たちに憧れを持っていました。私自身、これからも憧れてもらえる選手になっていきたいですし、次代を担う若い子たちには夢を持ってこの競技をやってもらいたいからこそ、“色々な可能性があるよ”というのは示していきたいですね」。

取材の翌週、長野県・白馬村で行われた全日本選手権では女子ラージヒルで優勝。しかも136.5メートルという飛行距離は夏季ジャンプ台の新記録だった。ノーマルヒルも制しての2冠で大会を締めくくり、圧倒的な存在感を見せた。

11月になるとポーランドでワールドカップが開幕。そこから先は転戦の日々となる。視野にとらえるのは、4年後のミラノ・コルティナダンペッツォ大会だ。そして、その旅路において髙梨さんは、日本のスキー界に、スキーに触れたことのない多くの女性に、まだ誰も知らない新しい風を、きっと届けてくれるに違いない。

Photo: KENYU Edit&Text: Takashi Osanai