サハラを日本女性の中で最速で走れることを自負し、
ウルトラランナーとしての一層の進化を目指す
世界で最も過酷なレースと呼ばれるサハラ砂漠でのサハラマラソンに2度目の挑戦。250kmの走破記録を3時間も縮めて女子総合3位となった尾藤朋美さんは、高まる海外での評価を感じて帰国。ウルトラランナーとパーソナルトレーナー、2つの顔で活動する現在のステージから飛躍できそうな大きな転機にあることを感じている。

世界で最も過酷なレースで狙うのは世界ナンバー1の称号
2回目の挑戦は順位を落とした。4月下旬に開催されたサハラマラソンでのことだ。2年前の前回大会は初挑戦ながら日本人史上最高位の女子総合2位を記録。今回も日本人史上最高位だったが、女子総合では3位だった。世界女王の座を現実的な目標に掲げ挑んだだけに、その思いが報われなかった気持ちはどのようなものだったのだろう。大会以降、ブログやSNSが更新されなくなっていた状況からも失意を抱いていたように感じられた。だからレース後に予定されていた取材では、あまり良い話が聞けないのかもしれない。仮にそうでも仕方ないとある程度の覚悟はしていたが、リモート取材で画面の向こうに現れた尾藤朋美さんは予想を裏切った。変わらず元気な様子で、むしろ、さらなる意欲を纏っているようにさえ感じた。SNSの更新が遅れたのは単なる電波事情で筆者の思い過ごしだった。
「確かに女子総合1位を狙って挑んだ大会で結果は下回りましたけれど、男女全体の順位では28位から19位に上がったんです。タイムも3時間縮めることができて、2021年度大会の女子の優勝者より早く走れたんです。その点では満足できたレースでしたね」
初参加のレースでは途中で体調不良に陥ってしまい、エネルギーの補給方法に課題を残した。サハラマラソンはモロッコのサハラ砂漠で開催される世界で最も過酷と呼ばれるレース。日中は50℃に達する状況下、1週間をかけて計250kmを走破するもので、体力の消耗具合が結果を大きく左右する。
「人生で一番と言えるほどに具合が悪くなったんです。その年は真夏の開催で、公式には気温52℃とか言うんですけれど選手の体感温度は60℃に近いとか、それ以上とか。ずっと熱中症状態で、頭痛がデフォルト。そのような中、バックパックに1週間分の食料を詰めて走るんです。何をどれだけ持っていくのかも戦略の1つ。軽い方がいいですからね。それでイギリスの軽くてカロリー摂取ができる乾燥した食料を持っていったんです。でも、美味しくなくて……。食べられないから徐々に身体が消耗して、80kmを走る必要がある日に500kcalも摂取できない状態になったことで1km12分という、ほぼ歩いているような状況にまでペースが落ちました。次々に抜かれていくし、そのときは絶望感さえ抱きましたね」
そこで今回は日本食を用意した。慣れ親しんだ味のおかげで摂取不良にはならず、一度エネルギー不足になりかけたことはあったもののそのときも歩きながら食料を摂取。見事に復活して、一度も吐かず、熱中症にもかからず、タイムも大幅に縮める形で完走することができた。
「前回の教訓を経て、確実に強くなっている実感を得られたので、順位は下がりましたが自分としては納得のレースでした。それに今回は男女ともにエリート選手が多く参加していたんです。その中で総合順位を上げられたのは良かったですね」
新たな課題も見つかった。いわば日常を過ごす日本とは大きく異なる開催地の環境に対する慣れだ。東京から1日以上の時間を移動に使ってようやく到着するモロッコは、日本からの物理的な距離そのものが遠いように、アフリカの大地、砂漠といった環境が、完全なるアウェー状態になるのである。
「女性のトップはフランス出身で、2位はモロッコ出身の選手でした。フランスからモロッコへは毎日フライトがあり、一般の人でも休日の旅先にモロッコを選ぶほど両国は身近ですし、モロッコの選手にとっては地元開催のレース。場慣れという点で、私とふたりの間には差があったのだと思います。だから、そこは次回への課題ですよね。実際、ダウンジャケットを着るほど寒いフランスから灼熱のモロッコに入り、すぐにレースが始まったものの、やはり初日は身体が重くて。最初からトップギアで入るためには、事前合宿をするなどの準備ができればベスト。身体を現地の環境に慣らしてレースを迎えられれば、さらに良い結果を出せると思っています」
総合優勝者を含め多くのフランスやモロッコの選手が出場するなか、今回のレースでは彼ら彼女らとコミュケーションを深めることができた。サハラマラソンに強いランナーたちと練習を行うなど、次に向けたプランも頭の中に生まれ始めている。もちろん課題を克服して狙うのは、表彰台の頂点である。
渋谷生まれの体育会系女子。保育士を経て、28歳でランナーデビュー
153cmの小柄な身体で目指すのは完走率が50%を切るサハラマラソンだけではない。次の目標は? という言葉には、モンゴル、ピレネー、エベレストを舞台にする山岳レースの名が口をつき南極マラソンも視野に入れているといった。
2年に1度開催されるこの南極マラソンは応募すれば誰もが出られるという代物ではない。参加資格獲得には、ナミブ砂漠、アタカマ砂漠、ゴビ砂漠で行われる3つの砂漠マラソンのうち2つの完走が求められ、資格を得ても渡航費など含め200万以上の費用が必要となる。極地での舞台は250kmだ。聞くほどに極限環境にあるレースであることがわかってくるが、実は尾藤さんは本格的にレースを始めてまだ5年ほどでしかない。最初の一歩は2018年のフルマラソン。非常にスピーディに現在の状況に至ったのである。
「高校と大学の7年間はチアリーディングに没頭して、“もうスポーツはいいや”と思えるほどに向き合ったんです。そのため卒業したら保育士さんに。子供たちと触れ合う仕事は、定年まで働きたいと思える天職でした。ただ、仕事の時間は規則正しく、運動習慣もゼロという生活になって、時間と体力を持て余す感じになってしまったんです。体育会系の世界で自己と向き合い続けたときほどには毎日に少し物足りなさを感じて…。頑張った分だけ何かが変化する方が自分には向いているのかもな。そう感じたタイミングで始めたのがジム通いでした」
するとトレーニングが面白くてハマっていくことに。4年間勤めた保育士を辞めて1年間トレーナーの勉強をし、2018年3月にプロのトレーナーとしての活動をスタート。セルフブランディングの一環としてランニングも始めるようになる。そして大ファンだったオリエンタルラジオの藤森慎吾さんがフルマラソンで4時間を切るサブ4を達成した事をキッカケに尾藤さんもフルマラソンデビュー。初レースながら見事サブ4を達成した。さらに年末にはサハラマラソンを走破した女性に出会い、自身も目指すことを決意。それが現在に至るスタート地点だ。
これからの数年は自分の可能性に期待して、ウルトラランナーとして生きていく
東京・渋谷で生まれ育った尾藤さんは、チアリーティングで心身の礎を築き、地球をダイナミックに踏破するランナーとなった。今のメインフィールドは最果ての地だ。サハラ砂漠を私より速く走る日本人女性はいないという自負を持ち、背後を振り返ることなく、さらなる高みに挑もうとしている。
「今回のサハラマラソンに出たことで、やりたいことがより明確になった感じがするんです。1つが、海外を拠点にしたい気持ちが強まったこと。出たいと思えるレースがアメリカやヨーロッパ、アフリカなど海外開催のものばかりという状況を思うと、アメリカなどを拠点にできれば、より過酷な環境でトレーニングを積めるし大会会場への移動も楽になります。日常的に使うことで言葉も習得しやすくなる。それにロサンゼルスとかならフィットネスの仕事もできそうかなって」
実力派のウルトラランナーが凌ぎを削るステージレースが日本には無い実情もあり、海外の方が自身の取り組みへの理解も得られやすいと感じている。実際に今回のサハラマラソンでは、極地を走るアジア女性ランナーとしての見地に期待するブランドから声が掛かった。尾藤さん自身も商品やエネジーフードのレシピ開発への関心は高く、アドバイスができるとも思っている。
現地や欧州のメディアからもカメラを何度となく向けられた。それはどれだけ苦しくても笑顔を絶やさず走るという信念による賜物。真面目に険しい表情で走るのがごく一般的なのだから、楽しそうに走れば存在感をアピールでき、たとえトップを行く選手ではなくても関心を抱いてくれる。これまでずっとそう考え、今回改めて、「どんな環境でも楽しんで笑顔で走る事が大事!」という思いを強めた。
レースに出場するたびに伸び代となる課題や、課題を克服したことによる充足感を得るが、その一方、30代に入ったことで過酷なフィールドのレースに全力で挑める時間はそう長くはないと感じている。だからこそ今最も大切にしたいのは「やりたいか、やりたくないか」という気持ちに正直でいる自分。ウルトラランナーとして世界の舞台でどこまでやれるかという進みたい道はくっきりと見えている。あとは突き進むだけ。その思いを日々、強めている。
Photo: KENYU, レース写真 iancorless.com Edit&Text: Takashi Osanai