笑顔の裏に覚悟を決めて戦った金メダリスト
今年2月のインタビューで明言したとおり、見事、女子最重量級の金メダルを手にした鏡優翔さん。日本レスリング界初の快挙です。8月のあの舞台からおよそひと月。日本中に希望を与えた鏡さんに、運命の日の前後を振り返ってもらいました。

“いつもどおり”で楽しんだパリ五輪
「相手(ケネディ・ブレイズ選手)の顔を見たとき、『私のほうがやって(練習して)きている』と直感しました。だからどこかで必ず自分のタックルが決まるはずだと、冷静な気持ちで試合に臨みました」
女子フリースタイル76kg級の決勝戦。その鏡さんの言葉のとおり、残り1分半でタックルからポイントを取り、リードを守り切って金メダルを獲得しました。
「試合はずっと冷静だったんですけど……勝った瞬間はまったく実感がなくて。“本当に私が金メダル?”というのが率直な気持ちでした」
試合が終わると鏡選手はすぐに、観客席で応援していた家族のもとに向かいました。
「みんなに飛びついちゃいましたね(笑)。ずっとサポートし続けてくれた家族への感謝の気持ちはもちろん、この瞬間の喜びを最初に分かち合いたいと思って。
大好きだった亡くなった祖父の写真を、母がずっと手にして応援してくれていたんです。それが一回戦から目に入っていたので、『おじいちゃん、やったよ。見てた?』って。『よくやったぞ』と祖父の声が聞こえたような気がしました」
大会を通じて終始冷静かつ積極的に試合を運び、日本女子最重量級の金メダルという史上初の快挙を成し遂げた鏡さん。何よりいつもどおりの笑顔が印象的でした。
「自分の中では一貫して楽しめた大会だったなあ、と思います。もちろん緊張もしましたし、あの大会ならではの独特な雰囲気もありました。でも『今この場所にいるからこそ味わえる空気だ』と切り替えて、とことん楽しもうと。
オリンピックに出場した先輩たちに話を聞いたとき、『自分の中で“特別な空気感”を作らないほうがいい』というアドバイスがあって。なるほど確かに、と思いました。魔物がいるなんてよく言いますが、自分の気持ちが作り出してしまうんですよね。だからずっと“いつもどおり”を心がけていました」

帰国してから骨折と判明
2月のインタビューで宣言したとおり、見事金メダルを手にした鏡さん、でも実は大会前にいくつか、フィジカルのアクシデントがありました。
「まず3月に、肋骨を骨折してしまって。『少なくとも2週間は練習しないように』という指示だったので、その間は何もできませんでした。その後少しずつ練習を再開して、いい感じに(コンディションが)上がってきた5月、膝をやってしまったんです」
右膝内側の靭帯損傷。タックルが持ち味の鏡さんにとって、きわめて厳しい状況だったのではないでしょうか。
「ケガをした瞬間に膝から音が鳴って、『切れたな』という感覚もありました。ヤバいと思いましたね。ただ出場できないかも、みたいな絶望感はなくて。大会までの計画をどう変更しようかと、冷静に頭が働いたんです。落ち込んでいる暇はないと。
次の日に病院へ行き、リハビリの先生を紹介してもらいました。それからウェイトのトレーナー、心肺機能のトレーナー、コーチと連携して、すぐにリハビリを始めたんです。その判断も良かったと思います」
「膝のケガも、金メダルを取るための必然的な試練だったのかもしれない」と振り返る鏡さん。切り替えと受け入れの早さ、ポジティブな思考回路。バランスのとれた体格と優れた身体能力を評価されることの多い鏡さんですが、このメンタルの強さこそ、レスリング選手としての最大の武器なのかもしれません。
「実は大会中にも負傷したんです。それも一回戦が始まって1分ちょっとくらいのとき。タックルしてきた相手(ヘネシス・ロサンヘラ・レアスコバルデス選手)の頭が、自分の顔面、右目あたりにぶつかって。それがめちゃくちゃ痛かったんですよ。
ぶつかったのは右目でしたが、両目ともに見えにくくなってしまったんです。激痛だし、これはヤバいぞと。でもやるしかないですから。ロキソニンを飲んで、決勝までやりすごしました。
大会中、ドクターに緊急治療の必要はないと診断してもらっていたのですが、帰国してからも見えにくかったので、病院に行きました。ひそかに『骨折していたら、これもひとつのストーリーになるな』と思いつつ(笑)。案の定骨折していましたが、眼球は異常なしで安心しました」
この真相を自身のXにポスト。「目の骨が折れたのに頑張った自分を褒めたいと思います」との投稿に、温かいお見舞いのコメントが多数寄せられました。

正直に言えば、きつかった
今回鏡さんに話を聞いたのは、金メダル獲得から2週間ほど経過した8月末のこと。その熱狂冷めやらぬ時期でした。
「金メダリストになってからも自分に変化はないのですが、周りの反応がすごく変わりました。ひと言で言えば、私を見る皆さんの目が変わった、ということ。
以前はアスリートではありましたが、いわば一般人。でも今は、普通に歩いているときに気付いてくれる人もいて。テレビをはじめとしたメディアへの出演依頼もたくさんいただいて……本当に大きく変わったと思います」
同じく金メダリストで仲の良い藤波朱里選手とは、「こんなに夢があるものなんだね。すごいね」とよく話すそうです。
「テレビで見ていた人たちと自分が共演できるなんて、本当に夢のよう(笑)。今は取材や収録のスケジュールが詰まっていて、故郷での報告もまだ済んでいなんですよ。栃木と山形の2つの故郷。早く行きたいと思っています」
目のケガのこともあって、今は練習はストップしている鏡さん。今後はどのようなビジョンを描いているのでしょうか。
「今回の大会のために、膨大な時間を費やしてきました。簡単な言葉では言い表せない気持ちで過ごしてきたんです。もっと正直に言えば、これまで本当にきつかった。
取材でもよく『4年後は?』って聞かれるんです。期待してもらえるのはすごくありがたいのですが、『そんなに簡単に言わないで! 本当に大変なんだよ!』って思っちゃいますね(笑)。
2021年、あの日からの3年間、もっと言えばこの大会に出ると決めてから必死で積み上げてきた結果が、今回の金メダル。だから4年後を狙うには、今まで以上の、もっともっと強い覚悟が必要なんです。それが定まらない限り、容易に“次”を口にすることはできません」
周囲の喧騒に決して浮つくことなく、今の自分の気持ちをありのままに伝えてくれた鏡さん。どこまでも真摯にレスリングと向き合うその姿勢に、改めて敬意を表したいと思います。
「一回戦から決勝まで、ずっと履いていました!」

パリに持っていったアイテムは?と聞くと、すかさず「Hyperice(ハイパーアイス)です!」と答えてくれた鏡さん。スポーツ後のダメージをケアしてくれる、ハンディタイプのパーカッションデバイスです。
「今回初めて使ってみたんですが、めっちゃよかったです。思ったときすぐに、自分でできるのがいいんですよ。主に脚に使っています。
大会期間中はずっと脚に張りがあって……やっぱり緊張していて、筋肉が固まりやすかったんですね。私の持ち味はタックル。マットを蹴る力がいちばん重要なので、脚のケアはおろそかにできません」

さらに脚ではなく“足”に役立ったアイテムもあったそう。Feetures(フィーチャーズ)のソックスです。
「今回私は第2シードだったので、シングレット(ユニフォーム)がずっと青だったんです。その色と、このソックスのデザインがすごくマッチして。だから一回戦から決勝まで、ずっとこの一足を履いていました。
ソックスってすごく大事なんですよ。シューズの中でズレると指の感覚や力が鈍るし、肌が擦れてしまうことも。その点、Feeturesのフィット感は完璧でしたね」

荷物の収納に役立ってくれたのはCotopaxi(コトパクシ)です。鏡さんは普段からリュックを愛用。でも今回のパリには、荷物の量を考えるともうひとつバッグが欲しかったのだとか。
「パリに出発する前、大急ぎで下北沢(Cotopaxi TOKYO)に選びに行きました(笑)。前後に荷室が分かれているトラベルパックです」
試合には直接関係なくとも、Cotopaxiは鏡さんの“いつもどおり”をサポートしてくれたのかもしれません。「リカバリーサンダルのOOFOS(ウーフォス)もそんなアイテムだったようです。
»鏡さんが愛用しているアルコ製品の紹介はこちら
「選手村で、ささっと部屋の外に出たいときに使えるなあと思って、持っていきました。滞在したのはパリでしたけど、今住んでいる東京の板橋と同じ感覚になれました(笑)」
Photo:Kengo Shimizu Text:Tomoshige Kase Edit:Toshiki Ebe(ebeWork)