2023.08.21
INTERVIEW Vol.22(前編)
トレイルランニングの中でもきわめて過酷な、
100マイル(約160㎞)以上の長距離を走る「ウルトラトレイルランニング」。
このシーンで注目を集めている日本人がいます。
それが今回紹介する南 圭介さん。
トレイルランニングに出合う前は、
音楽フェスを巡って海外を放浪し続けていたそうです。
スポーツとも無縁。
そんな人物がいったいなぜ、トレイルランニングを始めたのか。
そのきっかけ、そして現在について話を聞きました。
「先月末に北マケドニアのレースから帰国しました。
で、明日にはスイスへ。
『アイガーウルトラトレイル250』に参加します。
その後、コンディションが良ければそのままスペイン、
そしてイタリアのレースに向かう予定です。
3カ月くらいのロードですね」
そんなふうにさらりと言ってのける南 圭介さん。
こちらも「トレイルランニングって楽なスポーツ?」と勘違いしそうになりますが、
もちろんそんなことはありません。
競技自体も過酷ですし、
南さんのように海外で長期間にわたって複数のレースをこなす選手は、
なかなか珍しい存在です。
現在38歳。
精神力と経験値がモノを言うトレイルランナーにとって、
加齢は決して不利な条件ではありません。
むしろ南さんくらいの年齢は、選手として脂が乗る時期と言えるでしょう。
ただ、南さん自身のトレイルランニング歴は意外にも短い。
初めてレースに参加したのは6年前、32歳のときのこと。
何かスポーツの素地があるに違いない、と思ったのですが……。
「特にないんです。僕は20代後半まで世界中を放浪していました。
サイケデリックトランスのフェスやパーティを巡って、
ヨーロッパと南米を中心にあらゆる国へ。
何日も踊り続けますから、もしかしたら脚は鍛えられていたのかな(笑)」
5年の海外放浪を経て日本に帰国。
ここからトレイルランニングに出合うまでに、
いくつかのターニングポイントがあったようです。
「次はどういう旅に出ようかと考えていて……。
いずれにしてもお金は作らなければならない。
それならば都会で働くよりも田舎がいいと思って、
Googleで“無人島 アルバイト”と検索。
最初に出てきたのが、小笠原諸島の父島。
初めて働いたのは『小笠原グリーン』、
そこでは無人島でキャンプをしながら外来植物の駆除をするというものでした。
「そういう仕事に就くと、
当たり前ですが自然環境のことを考えるようになるんですね。
次の旅は環境負荷の少ない手段で、
できるだけ長い距離を移動したいと思ったんです。
公共交通機関ではなく、自転車で移動しよう。
中国からポルトガルまで走って、モロッコまで行ってもいいなと。
ユーラシア大陸横断ですね」
スケールの大きな計画にひるむことなく、自分の気持ちに正直に生きる南さん。
その性格はどうやらずっと変わらないようです。
ただその後ちょっとしたアクシデントが発生し、
“自転車の移動”が“トレイルランニング”に変わったのでした。
「小笠原諸島に渡って一年程経つ頃、遊歩道整備のための丸太を荷揚げしているときに、
肩の関節唇(かんせつしん)を損傷してしまったんです。
これが思った以上の大ケガで、専門の手術が必要。
小笠原諸島では無理だったので、
実家のある札幌で手術を受けることになりました」
結果このケガが、南さんとトレイルランニングを結びつけることになります。
無事に手術を終えた病室でテレビを見ていたときのこと。
NHKが定期的に放送している
世界の過酷なレースのドキュメント番組『グレートレース』に、
目が釘付けになったのです。
「次の僕の旅はこれだ、と直感しました。
自分の足で移動するんだと。自転車なんて言っている場合じゃないぞと。
実は手術前すでに、ススキノのサイクルショップでロードバイクを注文していたんですが……
すぐにキャンセルの連絡を入れました(笑)」
ここから南さんは桁外れ、常識外れの実行力を発揮していきます。
手術が終わったのが2月。
そこからおよそ半年後の9月に行われるレースへの出場を決意します。
それも当時、北海道で最も過酷と言われた60kmのレースです。
南さんの場合、術後は9カ月のリハビリ期間が必要でした。
でも担当医に「2カ月で終えます」と宣言。
そしてトレーニングに打ってつけとばかりに、
病院と自宅の往復14㎞の雪道を、走って通院したそうです。
医者も驚くスピードで回復していく南さん。
宣言通り2カ月でリハビリを終えると、
次はひたすらトレイルランニングの練習に時間を費やします。
「朝、自宅から自転車で50㎞くらい離れた山に向かって。
そして暗くなるまで、ひたすら登り降りを繰り返しました」
誰に教わったわけでもない、完全自己流の練習。
今から6年ほど前、すでにYouTubeやSNSが普及していた頃です。
そうしたデジタルプラットフォームを利用して練習方法を調べなかったのかと聞くと
「当時、スマホはおろか携帯電話も持っていませんでしたから」と、
南さんは屈託なく笑います。
そして2017年9月24日の日曜日、
目指していた「北海道アウトドアフェスティバル in ルスツ(60kmのレース)」に挑みます。
でも実はレース直前、プライベートに不幸があったのです。
直前の金曜日、幼少の頃から南さんをずっと可愛がってくれていた、
東京在住の叔母が亡くなったのです。
もちろん南さんとご家族は東京に駆けつけました。
そして南さんだけ、日曜のレースのためいったん札幌に戻ったのです。
「叔母もレースに出ることは知っていたので、絶対に参加したかった。
でも実はアキレス腱を痛めていたんです。
案の定、走って5㎞くらいでものすごく痛くなって。
ダメだと思ったのですが、半分の30㎞地点で沿道の人から
“速いね兄ちゃん、今2位だよ!”と声がかかったんです。
これは頑張らなければいけないぞと思いました。
癌で亡くなった叔母は、もっと痛かったに違いない。
こんなアキレス腱の痛みが何だと」
気が遠くなるほどの痛みに耐えながら、残り1㎞で前の選手を抜かし、そのままゴール。
見事、トレイルランニングレース初参加にして初優勝。
そしてレース後、月曜の叔母の葬儀のために東京にとって返します。
そこで叔母に感謝の言葉を捧げ、賞状を棺に納めたそうです。
このドラマに対しては、ただため息をつくばかり。
もしかしたら南さんを含め、突出したパーソナリティの人物が生まれる背景には、
きっとこのような、数々のドラマが隠されているのかもしれません。
南さんは今年、ヨーロッパのレースを長期間にわたり転戦していく予定。
そのために今年の春から食事を「ケトン食」と呼ばれるものに変えたそうです。
「ごく簡単に言えば、糖質代謝から脂質代謝に変えていくための食事です。
肉、魚のタンパク質、海藻、きのこ類、チーズなどをバランス良くとります。
糖質は1食あたり20g程度。
これを続けていくと、頻繁に食事をとらなくても長く走れる身体になっていきます。
クルマで言えば燃費がいいということ。
実際ここ2レースを経て、胃の負担が少ないぶん、
リカバリーも早くなっていると実感しています」
より良い形でレースに挑むために、
レースに向けた肉体をストイックに作り上げていく南さん。
見た目にも非常に精悍で、今年は飛躍の年になりそうな予感が。
しかしながら「トレイルランニングの求道者」と表現するとちょっと違うのです。
ドレッドヘアをなびかせて走る南さんから漂うのは、
どこまでもピースフルな空気感。
もちろんレースは勝負の場だけれど、
むしろ自然との対話、自分との対話を楽しんでいるようにも見えるのです。
「トレイルランニングの魅力のひとつが、“自分の限界を見せてくれる”点。
一日1時間の睡眠で、ギリギリの食事で、
自然の山道を何百キロメートルも走り続ければ、本当の限界が見えてくる。
ダメだと思うけどまだやれる。まだ行ける。
その繰り返しの先に、確かに限界が見えてくる。
それがこの競技の面白いところです」
そして「途中で止めるとクセになるんですよね。人間は弱いから」とも。
まだ身体が動くのに走らないのは、
自分に、トレイルランニングに嘘をついていることになる。
そのことで気持ちがマイナスに向いてしまえば、
次のチャレンジができなくなる。
だから一度レースに出たら、
物理的に脚が動かなくなるまで走り続けるのだと南さんは言います。
「こうした活動を通じて自分の知名度を上げていきたいし、
トレイルランニング自体をもっとメジャーなスポーツにしていきたいと思っています。
でも本質的に僕がやりたいのは、
ただただ、世界中のロングトレイルを走りたいということ。
そして仲間と知り合って、コミュニティを広げていきたいということなんです。
音楽での放浪は卒業しました。
でもそのかわりに僕は、トレイルランニングで世界を放浪しているのかもしれません」
(後編に続く)
南 圭介 / KEISUKE MINAMI
1985年生まれ、北海道札幌市出身。
世界各国のフェスで踊り、放浪した後、
100マイル以上走り続けるウルトラトレイルランニングを始める。
2016年、小笠原諸島・父島に初来島し、
生態系保全のための外来種対策の仕事に携わる。
以降現在に至るまで、自らが走ることで感じ取った
小笠原諸島の自然の魅力を伝えるため「NPO法人BOISS」に所属。
環境保全活動やトレイルランニングの普及活動を行っている。