2024.11.22
INTERVIEW Vol.38(前編)
素のままの表情を温かく描き出すポートレートで人気を集める写真家、横山泰介さん。
50年来写真を撮り続け、大好きなサーフィンはそれ以上のキャリアという根っからのサーファーでもあります。
作品どおりの飾らない人柄が魅力の横山さんの話には、
素敵な写真を撮る秘訣、自然体で生きる喜びが詰まっていました。
「自分でもこうなるとは思ってもいなかったんだよ」
写真家になったきっかけを尋ねると、横山さんは笑いながら言いました。
「一枚の写真が運命づけた。
今になって、これも自然の流れなのかなと思うんだよね」
その一枚とは、無人の海にパーフェクトな波がブレイクする鎌倉・稲村ヶ崎の写真。
1976年に創刊されたサーフィン専門誌『サーフィンワールド』の誌面に掲載されたばかりか、
付録のポスターにもなったのです。
サーフィンの縁でつながった編集長に写真を見せたところ、
一発で決まった華々しいデビューでした。
しかしながら、若かりし横山さんが最初に興味を持った創作活動は
写真ではありません。
「むしろサーフィンの映画が好きでさ。
友達と一緒にフィルムを輸入してショーイングをやっていたから、
いつかは自分で撮りたいなと思ってた。サーフィンのムービーをね」
そこで基礎を勉強しようと、人づてで映画の撮影所に入り込んで修行をすることに。
横山さんは現場の空気を吸収し、腕を磨きました。ところが……
「最初はロボット変身モノの撮影から始まった。
そして最終的に、中村錦之助さんの『子連れ狼』を撮りに『太秦に行ってこい』って言われたんだ。
でも京都に行ったらサーフィンができない。僕はそれがいちばん嫌だからさ。
だけど徒弟制度が厳しい時代だったから辞めさせてくれないんだよね。
それで、仮病を使ってなんとか辞めさせてもらった」
そうしてサーフィンを楽しみながらもモヤモヤしていた横山さんに、今につながる転機が訪れます。
当時付き合っていたガールフレンドが、
昔サーファーだったというスチールカメラマンと引き合わせてくれたのです。
「パルコのコマーシャルを撮っていた方で、
『波があったら来なくていいよ』って具合の最高な人だった。
僕にスチールのおもしろさとモノクロプリントのやり方を手取り足取り教えてくれた恩人だよ。
稲村ヶ崎の写真は、20代前半のこの時期に撮ったんだ」
『サーフィンワールド』でデビューを果たしてからというもの、
横山さんはサーフィン誌とともに写真家として成長していきました。
「もちろん最初はライディングを撮ったりしてた。
若かったから水中も入ったよ。
でもそうこうやっているうちに、人物の撮影が好きになっていったんだよね。
『サーファーっておもしろいな』って思い始めて、
自然とみんなのポートレートを撮るようになった」
サーフィンの世界で経験を重ね、やがてミュージシャンやアーティスト、
映画俳優などあらゆるフィールドの人たちを写真に収めるようになった横山さん。
ハリウッドスターを撮影するような大仕事でもひるまず、
今もたくさんの素敵な表情をとらえています。
「やっぱりそれは、サーファーを撮ることにすべてが凝縮していたんじゃないかな。
サーフィンの世界は別格だよ。みんな本当に個性的だから、
いろんな人とのコミュニケーションの方法を自然と学んでいたんだろうね。
しかも制約の少ないサーフィン誌で自由にトライできた。
幸せなことにね。そうして気づいたことは、
結局は被写体が持っている力がすべて。
僕は『ただ撮らされてる』っていう感じに近いんだよ。
写真は、まったく字のごとし。『真を写す』ってね」
写真家として独立している横山さんは現在76歳。
ずっと自由にやってきて、ピンチはあったのでしょうか。
「日本で最初にサーフィンの専門誌ができたころなんて、それ1本で生活できないんだよ。
そりゃそうだよね。それまでそんなジャンルの仕事はなくて、ゼロからのスタートだったんだから。
しょうがないから、車の陸送や皿洗い、冬はお歳暮、
夏はお中元の配達仕事とか、ありとあらゆるアルバイトしながらやってたよ」
大人になってからは順風満帆?
「いやいつもピンチだよ。今だってピンチ。
でも海のそばにいると、東京と違ってやることはあまりない。
波さえあればいいみたいな感じだから、お金もかからない。
そうは言いながらも、写真とサーフィンを続けてここまで生きてこられたのは、
人間関係に恵まれたおかげ。僕はいつもそう思って感謝してる」
(後編に続く)
TAISUKE YOKOYAMA
1948年東京都生まれ、神奈川県葉山町在住。
『プーさん』『社会戯評』で知られる風刺漫画家の横山泰三が父、
『フクちゃん』を描いた国民的漫画家の横山隆一が伯父という芸術一家で育つ。
鎌倉で暮らした幼少期から海に親しみ、
高校生のころに念願のサーフボードを手に入れた。
学生時代に父親のライカM3で撮影した稲村ヶ崎の写真をきっかけに写真家の道へ。
人の情感を素のままに描き出すポートレートを中心に、
50年以上にわたり写真を発表し続けながら、波に乗り、海とともに生きている。
https://www.instagram.com/taiseye/