2025.05.23
MAGAZINE Vol.44(前編)
今月のコンテンツは
日本最大規模のトレイルランニングレース「Mt.FUJI100」について。
走る人たちから着実に人気が出ているシューズメーカーTopo Athleticの
ジャパンチームに所属する2人が「走者」と「筆者」として記事を作っていきます。
走者は南圭介さん。そして筆者は若岡拓也さん。
これまで世界中のトレイルランニングレースを走ってきた南さんの動向を、
元新聞記者で「書いたり、走ったり」を仕事とする若岡さんは、
こう書き出しました。
「順位は関係ありませんでした。」
完走した南圭介は飄々とそう振り返った。
100マイル=160kmを走った直後なのに表情は穏やか。
総合13位、年代別2位という好成績にも、心を昂らせることはなかった。
見据えていたのはレースの先にあるもの。
自分自身への挑戦だった。
100マイルレースは多くのトレイルランナーにとっての憧れであり、
完走すること自体が誇りだが、南圭介にとっては通過点だった。
「100マイルを走って、いいトレーニングになりました。」
その辺で小一時間ほどジョギングしてきたかのような口ぶりだ。
だが、今回出場した「Mt.FUJI100」の高低差の総計は6,000mを超える。
富士登山4回分を上回るものだ。
しかも一睡もせず昼夜を問わずに野山を駆けていたのだから、その過酷さは想像にかたくない。
南は驚異的な体力、そして強靭な精神力を備えている。
ただ、走り終えた姿からはイメージしづらい。あまりにもあっけらかんとしている。
それはゴール後だからではなく、スタート前からずっとそうだった。
レース前は、会場で早めに準備を済ませると南は友人たちと談笑していた。
緊張するでもなくリラックスしたままだ。
3,800人がエントリーした国内最大のレースとあって、ひっきりなしに声をかけられる。
「行ってきます」
ふらりと散歩に出てくるかのように、160kmの旅は出発した。
スタート直後にカメラを向けると、こちらの存在に気づいた南と視線が合った。
人差し指をこちらに向けて、ポーズを取る余裕まであった。どこまでもマイペースだ。
レースを通じて、南を追いかけていた僕のことにも少しだけ触れさせてもらう。
同じTopoアスリートで、今回のレースで南のサポート担当をしながら、この記事の取材に当たった。
おもにはエイドステーションと呼ばれる補給の休憩所で、食事を提供したり、
飲み物や行動食を補充したり、次の区間の距離やコースレイアウトなどを説明するのが役割だ。
そして、サポートの合間に、カメラを片手にコースを巡ってシャッターを切った。
序盤は想定よりも少々早いペースだった。
52km地点にある最初のサポートエイドでそう伝えると、意外そうな表情を浮かべていた。
本人としては無理をしているわけではなく、淡々と走っていたのだろう。
「Mt.FUJI100」はトレイルレースの中では「走りやすい、走れるコース」に分類される。
険しい山岳レースを得意とする南とは相性がそれほど良くないはずだった。
「走る」よりも「登る」ことを重視したトレーニングを積んできた結果、本人が思っている以上に走れていたのであった。
次のエイドに入ってくる際の表情も、走り出したときと同じだ。
時刻は日付が変わって深夜2時前、スタートから9時間近く、70kmを走っているはずなのだが、
今さっきスタートしたかのようだった。
無尽蔵なスタミナは地道な努力のおかげなのだろう。
「こんなにトレーニングで走ってきたことはなかったです。
練習を変えたのはレースのためじゃなくて、その先に自分のやりたいことがあるから。
今年こそは目標を達成したくて。」
彼が目標としているのは、2024年に挑んだ「GR10」の最速記録(FKT)にふたたび挑戦することだ。
フランスとスペインの国境に連なるピレネー山脈を
西から東に914kmを9日9時間12分以内に踏破を目指す。
ハイカーが45〜60日ほどかけてたどる行程を、昨年のチャレンジでは9日間21時間13分で走破した。
すべてを出し尽くしても記録にはおよばなかった。しかし、終盤まで最速更新を狙える走りだった。
その挑戦はこちらで観ることができる。
再挑戦を心に決めたときに、自分に足りなかったものは何かを自問した。
そして、導き出したのはシンプルな答えだった。
「振り返ってみると、険しい山が多いけれど、走れる区間も意外とあったんです。
そこをしっかり走りきれませんでした。それができて、休憩を減らしていたら、
記録が更新できるってわかったんです。」
帰国後は、環境保全の仕事で滞在していた小笠原諸島で汗を流した。
16kmの峠道を全力で走るトレーニングを重ねてきたという。
その成果を確かめるために選んだのが「Mt.FUJI 100」の舞台だった。
レースでの目標タイムは22時間半。
この記録で走りきることができれば「GR10」での最速記録に大きく近づける。
足りなかったものを埋められたのか。レース経過が答え合わせになっていた。
最初のサポートエイドで29位。100km近く走って22位に浮上。
国内トップ選手、海外選手がしのぎを削る中で、着実に順位を上げていく。
120km過ぎにある最後のサポートエイドでは17位に上がっていた。トップ10入りも見えてきた。
だが本人は順位にこだわっていない。なにせ今回の走りは「トレーニング」なのだから。
それでも、周囲に期待感を抱かせてくれるには十分な素晴らしい走りだった。
エイドで見送ったあと、僕はゴール会場の富士北麓公園に戻った。
時計に目をやるとレースタイムは22時間を超えている。
目標の22時間半が近づいてきて、ややドキドキしてきたところで、南が姿を見せた。
祝福してくれる観衆にハイタッチで応えながら、最後の数十メートルをゆっくりと走る。
僕の存在に気づくと、スタート時と同じように人差し指をこちらに向けてくれた。
そして、最後まで飄々とした表情を崩すことなく、ゴールに飛び込んだ。
レースタイムは22時間8分。目標を達成してゴールテープを切ったのだ。
走った人
南 圭介
1985年生まれ、北海道札幌市出身。
世界各国のフェスで踊り、放浪した後、
100マイル以上走り続けるウルトラトレイルランニングを始める。
2016年、小笠原諸島・父島に初来島し、
生態系保全のための外来種対策の仕事に携わる。
小笠原諸島の自然の魅力を伝える「NPO法人BOISS」に所属。
環境保全活動やトレイルランニングの普及活動を行っている。
https://www.instagram.com/south_keisuke/
書いた人
若岡 拓也
1984年、石川県金沢市生まれ。
2014年に新聞社を退職して走り始める。
荷物を背負って1週間走るステージレースや
トレイルランニングレースなどで活躍。
2021年に「日本山脈縦走」3,000kmを踏破。
2023年に知床から鹿児島まで山々をつなぎ、
日本列島大縦走として4800kmを踏破。
https://wakaoka-takuya.com/
https://twitter.com/mofmoft
https://www.instagram.com/wakaokatakuya